お茶の歴史

 こんばんは、実は私、部活で発表しなきゃいけないものがあるんですよね。私はお茶の歴史について発表するんですけど、どうせならと思い、ついでにここでも調べたことをまとめようと思います。

1.お茶の起源

 お茶は中国で発祥しました。お茶の歴史は紀元前2700年頃まで遡り、中国の歴史の中でお茶が最初に登場するのは、神農本草経という神農の逸話からです。神農とは古代中国の神で、いろんな草の性質を自分の体を使って調べたり人民に農耕を教えたりしたと言われています。そして618年〜907年に神農がお茶を発見したという記述が茶経にありました。この茶経というものは現在でも茶を嗜む人の聖典となっています。ここまでは神話の話ですが、実際に人々がお茶を飲むようになった最古の歴史は、前漢の宣帝時代(B.C.74〜A.D.49年在位)の奴隷売買の契約書と言われています。

 

2.お茶の歴史

 お茶は先ほど中国で発祥したと言いましたが、ここからお茶は世界中に広まっていくことになります。日本や西洋などで独自の進化を遂げていきます。

 

2-1.日本でのお茶の歴史

   日本では710-1192年の奈良〜平安時代に中国の文化や制度を取り入れようとしていた時に遣隋使にもたらされ、広まったと言われています。815年(

平安初期)の日本後紀という書物にお茶に関することが書かれていて、これが日本での最古のお茶の歴史だと言われています。昔はお茶はとても貴重なもので上流階級の人だけが口にできるものでした。鎌倉時代にはお茶が京都から日本全体に広まり、上級階級の人たちだけでなく、武士階級の人たちにも社交の道具として広まっていきました。このころはお茶を伸び比べてその産地を当てるという闘茶というものが流行りました。また足利義満宇治茶への思い入れが強く、これが豊臣秀吉にも受け継がれ日本独自のお茶のブランドが発展していきました。15世紀後半には村田珠光が侘茶(わびちゃ)を創り出し、これが千利休らによって受け継がれ茶の湯ができました。茶の湯とは茶道のことです。江戸時代には茶の湯が幕府の儀式に正式に取り入れられ、武士階級の人たちの中でも社交のためには欠かせない要素となっていきました。また江戸時代では今までとは違い貴族や庶民だけでなく、一般庶民の中でも嗜まれるようになりましたが、抹茶ではなく茶葉を煎じたものでした。近世では茶町と呼ばれるお茶の流通拠点で一部の人が許可を得てお茶の取引をしていました。江戸幕府鎖国を辞めて海外との貿易を開始したころには日本の主な輸出品の一つでした。現在のようにお茶が国民全体に文化として根付いたのは大正〜昭和時代初期のころで産業革命による機械化やインドによる紅茶の輸出によって日本茶が国内で消費されるようになったことが理由です。

 

2-2.西欧でのお茶の歴史

 西欧で初めてお茶が伝わったのは1610年のオランダの東インド会社です。このときに伝わったお茶は現在のような紅茶ではなく、平戸で買った日本茶マカオポルトガル人から買った中国茶、つまり緑茶でした。その後、戦争でオランダに勝利したイギリスが中国貿易で優位になります。15年後には直接中国からお茶を輸入し流通するようになっていました。この時に輸入していたお茶が紅茶に似たお茶で、やがて西洋における主流になりました。さらに人それぞれの好みによってこのお茶が改良されて現在の紅茶のもととなりました。1870年代にはイギリスだけでなくオランダもプランテーション農業でお茶を開発しました。

 

3.どうしてここまでお茶が広まったのか

    私はお茶がここまで広がった理由はすべての地域に共通する点で、お茶が健康に良く薬用にも使われていたこと、飲料水であるために食事とは違い好きなときに飲むことができること、広まったばかりの頃は上流階級の人たちしか飲むことができなかったが、茶葉は植物なので 大量生産が可能で中流下流階級の人たちでも買える価格に下がったこと、それぞれの地域の人たちの好みに合うように独自の発展ができたことなどが挙げられると思います。

 また西欧でお茶が広がった理由には硬水だったために生水が飲めなかったということも挙げられます。なので牛乳やアルコールを飲んでいましたが、牛乳は保存が効かずアルコールは酔ってしまうのでお茶が保存も効き酔っ払うこともないので飲料水として重宝され一般階層の人たちにも広まっていきました。